ナナメから直視する。

フォーク/ロックシンガー ナナメ/nanameの思想と音楽を素直なままに吐き出すブログです。

『実存』

実存/ナナメ/naname

 

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先日リリースした1st Full Album『ロカンタン』の表題曲、『実存』です。

表題は『ロカンタン』じゃねぇか、というツッコミがほとんどだと思いますが、

このアルバムは哲学者J・P・サルトルの思想に大きな影響を受けている作品でして。

ちょっとその話から。

 

 

サルトルは、20世紀フランスの哲学者。

実存主義哲学」を提唱した人として現代哲学史に名を刻んだ思想家です。

 

実存主義」とは、簡単に言えば、

椅子は座るために存在し、

ハサミはものを切るために存在するが、

人間には、そうした生まれながらの役割(本質)が確定していない。

人間は本質を欠いたままこの世に生を受けこの世を生きていくのである。

という思想。

 

そしてその上で、

「今、ここに、存在する私」に重きを置いて、

自らが主体的にその本質を作っていく。

と、議論が進められる。

本質が確定していないということは、自由を与えられているに等しいのだ。

 

しかし、自由というのは残酷である。

サルトルは自由を悲観的に捉える。

なぜなら、人間が悩むのは、自由があるからだ。

最初から自分の役割や使命がはっきりとわかっていて、

それに従いさえすれば良いのなら、人は悩んだりなんてしない。

 

 

サルトルはこのような思想を一冊の小説にまとめた。

『嘔吐』と名付けられたその本は、ノーベル文学賞を受賞した。(サルトルは受賞を辞退)

そして、その小説『嘔吐』の主人公の名前が、「ロカンタン」である。

 

だから、『ロカンタン』の表題は、「実存」なの。

 

 

 

 

じゃあ、本質の決まっていない我々人間は、

どう生きればいいんだろう。

 

何も決まっていないんだから、どこに進めばいいか、

どこの道が正しいのか、

なんて、はじめからない。

 

 

 

過去を振り返ってみると、それはそれは、あたたかいものだった。

ただただ、人生を駆け回っていた。

何も、心配せずに。

 

「裸足で駆け出した夏

 木漏れ日さえ優しくて」

 

 

しかし人は大人になる。

世界を知る。

自分はまだ、木漏れ日の美しさの中にいたいのに、

 

「自分を写した影が

 闇に溶けてゆく」

 

 

 

青、とは、「青春」のこと。

「夜風と共に舞い踊っていた」煌びやかな青春は、

「夢にまで見る」ほど憧れていたものだった。

確かに私は、幸せに包まれていた。

 

しかし、そんな幸せは束の間、

「掌の上を転げ」落ちていく。

 

星、は煌びやかなものの象徴。

針、は時間。

それらは限りあるもので、

次第に消えていく。

 

「星」「針」の中で、

私は「微笑んで」いた。

 

 

もう時は過ぎた。

「青」は終わる。

 

二度と戻ることのない「青」

その幸せを忘れないよう、

そしてそれらと共に生きていくため、

私は「心を抱く」。

 

 

 

 

「実存」していた日々は終わる。

しかし私はまだ「存在」している。

 

裸足で駆け出した夏は過ぎて、

 

これからどう「実存」を見つけていけばいいのだろう。

 

 

歌詞

 

実存

 

花が咲く 人が在る

気づく頃には終わってる

花は散る 人は死ぬ

川は流れるようだ

 

裸足で駆け出した夏

木漏れ日さえ優しくて

己を写した影が

闇に溶けてゆく

 

夜風と舞い踊る

夢にまで見た青 掌の上

転げるようだ

艶やかな日々たち

限りある星 針

微笑みの中

心を抱いて

 

似ても似つかぬテーゼ

返り戻る村時雨

翼を広げた波が

闇にこだまする

 

夜風は舞い上がる

夢になりきる青 橘の上

留まるようだ

艶やかな日々たち

限りない星 針

まどろみの中

心を抱いて

 

夜風と舞い踊る

夢にまで見た青 掌の上

転げるようだ

艶やかな日々たち

限りある星 針

微笑みの中

心を抱いて

 

 

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