哲学だけは、絶対に流行らせちゃいけない学問である。
東京では、まだまだコロナウイルスが猛威を奮っている。
様々な噂・憶測が毎日洪水のように流れ込み、
携帯を見ても、テレビを見ても、嘘か本当かわからない情報で溢れかえっている。
国民は不安でいっぱいだ。
何が正解かわからない。
トイレットペーパーを買い漁る人、
首からぶら下げる「ウイルスシャットアウト」なる商品を身に着ける人、
換気をしていれば大丈夫、と、外食や面会をする人。
各人が信頼できると判断した情報を、各人が信じて実行している。
人々はもう政治家を信じていない。
人々はもうテレビを信じていない。
そんな中で、個々人の思想(そしてその思想のアウトプット)が激しくなってきている。
政府はこうすべきだ、と、指示を投げかける人が、SNSには山ほどいる。
個人的には、政府も国民の一人一人も、誰も間違っているとは思わない。
リーダーは常に全員のことを考えて決断しなくてはいけないし、
個々人は自分の利を第一に行動する。
その中でズレが生じるのは当たり前だし、
一つの主義に立てば間違っていると思われる事柄でも、
違う主義に立てばそれこそが正しいのだと説得することもできる。
民主主義と社会主義では、どれを「正解」とするかも違うだろう。
それと同じことである。
コロナの蔓延により、個々人のストレスが溜まっている。
そしてそのストレスは、「思想」となって表面化される。
思想は、過激だ。
「〇〇主義」、という言葉が、腐る程出てくる学問がある。
哲学だ。
今日政治の用語だと思われている民主主義、社会主義、共産主義なども、
元々は哲学の用語だし、
資本主義などの経済用語も、その出身は哲学者であることが多い。
というか、哲学は「全ての学問の祖」と言われているのだから、
結局根っこは全部、哲学に行き着くのだが。
世が荒れると、思想活動が盛んになる。
自身の思想をもっともっと説得力のあるものにしようと思うと、
必ず哲学にたどり着く。
実際、2つの世界大戦期は、哲学がとても盛んに行われていた。
この上なく不安定な今日の世の中。
哲学だけは、流行らせちゃいけない。
哲学科卒の私としてはなんとも歯痒いのだが。
ナナメ/naname