ナナメから直視する。

フォーク/ロックシンガー ナナメ/nanameの思想と音楽を素直なままに吐き出すブログです。

人間に生きる意味なんてない。

コロナウイルスの影響で外出自粛が続く中、

そんな状況にも少し飽き飽きしてきて、生活にメリハリがなくなりつつある。

 

オンライン授業、リモートワークなど、それぞれが自宅で学生や社会人として

生活しているにせよ、実際に仲間と直接会うわけでもなければ、

通学、通勤しているわけでもない。

当然、どこか旅行に行ったり飲みに行ったり、ということもないだろう。

 

そんな中、「私はなぜ生きているのか」と疑問に思う人もいるかもしれない。

実際にSNSでも、それによく似た投稿を数件見た。

 

ずっと家にいて、食べて排出して寝て、の繰り返し。

たまに出る外も食料確保のため、つまり必要最低限の生命維持のための外出である。

最近は、ただ生命を延長しているだけの生活である。

食べて寝てを繰り返すだけの我々は、もはや動物と変わりはない。

 

 

我々は、何のために生きているのだろうか。

なぜ、生きるのだろうか。

 

 

もちろん食べて寝てを死ぬまで繰り返す、ただそれだけのために生きる、

というのも一つの答えではある。

しかし我々は「人間として」、それ以上の答えをどこかに定めたがる。

 

 

ある人はそれを家族や恋人と定める。

またある人は仕事と定める。

趣味や夢に定める人もいる。

 

 

 

しかし私は、そうした全ての人々に問いかけたい。

 

それは、「あなたが作った」生きる意味だろう、と。

 

 

もちろん、個々人それぞれが生きる意味を策定しても良いとは思う。

ただ、動物(という種全体)の生きる意味がその

「生存、繁殖、そのための資源獲得」(ドーキンス

と定まっているのに対し、

人間の生きる意味には明確な定義がない。

 

いや、だからこそ、人間は自由なのだが。

 

そして、自由だからこそ、人は生きる意味を問うて悩むのだが。

 

 

「あなたが作った」生きる意味、に普遍的妥当性は見出せない。

あくまで個々人の具体例なのだから。

つまり、それが「正しいかどうか」は、誰にもわからない。

 

その不透明さを抱えながら、(大半はそんなことも考えずに?)

それぞれの人間が生きている。

 

 

人間は、自由の刑に処されている。

 

思わずサルトルが出てきてしまう、そんなコロナ期間である。

 

みんなで頑張ってもう少し、耐え忍ぼう。